今更だけどデスノートのミサ拘束シーンはなんだったのか
最近、今になってデスノートの1部を見たんですが、途中までは面白かったものの、中盤のミサ監禁のあたりからかなり消化不良になってしまいました。
考察というほどのものではないですが、特にあのシーンについて気になったことをまとめてみました。ただの個人的な感想です。
本サイトはゲーム攻略がメインコンテンツですが⋯よければお付き合いください。
先にいいたいことをまとめると
先に結論めいたことを書くと、あのシーンは「こういう絵を入れたかったんだろうな」という感想がどうしても拭いきれなかった。
物語の鉄則は「このキャラならどう動くか」を考えてシナリオを作ることだと思う。これに即して序盤の方はキャラの心情と行動がしっかりマッチしているようだった。
なのにこのシーンは、「この絵を使うにはどうしたらいいか」で動いているように見える。キャラの心情や理念ではなく、見せたい絵から逆算している。
キャラの必然というより、”こう見せたい” が先に立っているように感じてしまう。
仮に使いたい絵があるとして、それを成立させたいなら、徹底的にキャラの心情を考えないといけないのではないか。それをやっていないように感じてしまいました。
以下、なぜそう感じたのかについてです。
あのシーンは何だったのか
まず、あれは拷問だったのか。
拘束自体は分かる。相手が超能力的に人を殺せるかもしれない、顔を見ただけで殺せるかもしれない、だから目隠しをして行動を制限する。ここまでは理解できる。
ただ、描写を見ると単なる安全拘束には見えない。原作やアニメでは薬品らしきものや手袋の装着も描かれているし、「多少理不尽でも」と言ったあとのシーンだし、やるからには徹底的に何でもやるという雰囲気の演出になっている。
実際、ミサは数日で「殺してほしい」と懇願するレベルまで追い詰められている。これはかなりキツい。懇願するというのは、もう限界を超えているということだと思う。
(まあここに関しては事前の仕込みの可能性もあるけど)
ところが、監禁が終わった後はあそこまで元気にしている。このへんもちょっと繋がりが悪い気がするが、それは別の話なのでさておき。
(自分を徹底的に拷問した連中を目の前にしてあれだけハキハキしてるし、しかもその仲間を知り合う前とはいえ無き者にしてるというのに⋯)
Lは何がしたかったのか
作中でLは多少無理をしてでも自白を取れと言っている。つまり目的は自供だ。
当然ながらこれは越権行為どころかがっつり違法行為ですし、それも厭わないとしても明確に目的を決定して最大効率で行動するのが論理的な行動だと思う。場当たり的にやるのは流石にどうなのかと。
なのにこの行動は目的がめちゃくちゃになっている。
この状況で考えられる目的は大きく三つある。
- 短期決着 — 超法規的措置でも拷問して反応を見る、ボロを出させる
- 長期観測 — 監禁中に外界で殺人が起きるか見て、因果を推定する
- 自白目的 — 勾留して自白を取る
Lは「自供」と言っているから3が目的のはずだ。あるいは、自供を建前にしつつ、実際には1や2も狙っているのかもしれない。
いずれにしても、目的によって最適な行動は変わる。ところが、実際の描写を見ると、三つが混在していて、どれにも振り切れていない。全部やろうとして、優先度も目的も混線している。
短期決着が目的なら
短期決着、つまり拷問して反応を見る、ミスを誘発する、という目的だったらどうか。
相手を「未知の方法で人を殺せる存在」だと思っているなら、精神的に追い詰めるのは危険が増える。感情が暴走したらどうなるか分からない。自爆技があるかもしれない。コントロールを失った力で無差別に殺す可能性だってある。
ここで「能力の手法に確信があるから大丈夫」という見方もあるかもしれない。だが、それもおかしい。
仮に平常時の手法に確信があったとしても、感情が暴走したときも同じとは限らない。これまでの常識が通じない相手と相対するならあらゆる可能性を考慮にいれるべきではないだろうか。
精神的に追い詰めるなんてあとからでもできる話だし、いきなりそこまで踏み込む合理性があまり内容に感じてしまいます。
もっとも、作中では「安全のためにこれくらいしないといけない」と言っている。つまり確信はない。確信がないのにむやみに刺激するのは賢い選択肢とは言えないのではないかと。リスク管理としてはかなり軽率に見えます。
そして、もし本当に確信があるなら、あの過剰な拘束は「安全のため」ではなく、ただの拷問でしかないことになる。
結局、確信があっても破綻するし、なくても破綻する。
合理的に最善の手法を取って拷問しているというのはあまり筋が通らなさそうに見える。
長期観測が目的なら
長期観測、つまり監禁中に外界で殺人が起きるかどうかを見る、という目的だったらどうか。
これは供述より強い検証になり得る。ミサを監禁している間も殺人が続くなら、ミサは犯人ではない。止まるなら、ミサが関与している可能性が高い。
この場合、被疑者を安定させてノイズを減らすのが合理的だ。追い詰めれば追い詰めるほど、相手の反応がストレス由来のものになる。事故や自傷のリスクも上がる。
必要なのは隔離と条件の遮断であって、苦痛の付加ではない。
自白が目的なら
自白が目的だとして、拷問めいたことをするのは合理的なのか。
現代の捜査では、拷問は合理性が低いというのが定説だ。助かりたくて適当なことを言う。精神的に弱らせたら、自制心は外せたとしても言っていることの信憑性がなくなる。
拷問が有効な場面があるとしても、大勢を拷問してすり合わせをするような特殊なケースに限られる。個人の供述を証拠にするなら、追い詰めれば追い詰めるほど価値が落ちる。
Lは頭がいいという設定なのに、ここだけその設定が見えなくなっている。
どれにも振り切れていない
結局、どの目的を採っても、やっていることが最適になっていない。
- 短期決着 → 追い詰めて暴走リスクを上げる意味がない
- 長期観測 → 被疑者を安定させるべきで、追い詰めるのは悪手
- 自白目的 → 拷問は虚偽自白を増やすだけで逆効果
三つが混在していて、どれにも振り切れていない。
この行動はかなり非論理的なように思います。
ここでLの心理が描かれていない
もちろん、短期間で強引に決着をつけたいという焦りからの非論理的、非合理な行動、というなら分かる。五里霧中で相手が掴めない、手がかりがない、だから先走った。そういう描写があれば納得できた。
ところが、Lの焦燥感はここではほとんど描かれていない。後の展開ではちゃんと焦りを描いているシーンもある。一切描かないスタイルというわけではない。なのにここでは、焦りも覚悟も葛藤も、少なくとも私には見えてこなかった。
ないわけではないだろうが、これまでと同様に通常時のプロセスで進行しているような描画に見えました。
結局のところ
冒頭にも書いた通り、あのシーンは「見せたい絵が先にあって、それを成立させるためにキャラを動かしている」ように感じてしまった。
そういうシーンにニーズがあるんだろうか⋯
実際、このシーンは結構反感あるように見えます。
Lの心理が見えない。仮に論理的に判断しているなら結構厳しいロジックだし、焦りから先走りや非論理的な行動をしているというならその描画があってもいいのではと。
キャラの心情や理念から行動が生まれるのではなく、絵から逆算してシナリオを組んでいるように見えてしまうのは下衆の勘繰りですかね。
相当昔の作品に対して何を思っているのかということなんだろうけれど。
絵的にほしいのであれば
これも余談ではあるけれど、絵的にああいうシーンを入れたいのであれば、それなりの設計がないとこういう違和感が出てきてしまうのかなと。
ミサは実際に私利私欲で無辜の殺している。だから「こいつが追い詰められる」こと自体を描くなら、その前に犯行の重さを積むか、後で代償を描くか、どちらかがあれば、まだカタルシスが生まれる。
数カットでも残忍さを思い出すようなシーンがあればここの違和感はかなり減ったのではないんだろうか⋯ここまでするのかという空気に対して、仲間の敵討ちを忘れるな、という方向でもっていけばかなり違和感はなくなるような。
ところが、犯行の悪質さの描写は薄い。しかもその後は、かなり明るくいい性格のキャラとして描かれていく。
ここも監禁シーンに共感も納得も生まれなくて違和感が残ってしまう原因なのかなと。
余談:サイコパスのこと
余談ついでに。
似たようなジャンルの作品でサイコパスがあり、私も好きな作品です。あちらは結構しっかりセクシャルな描画がありますが、そういう描写とロジカルな展開を高度に融合できていると思いました。
強い絵を見せつつ、それがキャラクターの行動原理や世界のルールとちゃんと噛み合っている。
デスノートのこのシーンを見ているとどうしてもサイコパスを思い出してしまうけれど、今思うとあちらはうまくやっているなあ、と。

